とこばが胸で大渋滞

現実逃避と自己満足

結果的に薮担となったヲタクとジャニーズの出会い

どうもこんにちは。

前回書いた、じゃんぷに歌ってほしいポルノの記事が思った以上にいろんな方に読んでいただけたようで軽率に喜んでおります。
 
 


 
 
 
それはさておき、
 
薮さんはいつ金髪をやめてくれるのかな???
 
先日の嵐にしやがれ・Mステ・有吉ゼミをみた超個人的な感想です。やっと薮担らしいブログだと思えばこんな文句で申し訳ない。もちろん金髪の薮さんが好きな方もおられると思います、気を悪くしないでください。
 
しばらく続いているから見慣れたな、と思うこともあるけどやはり違う。似合わない。若づくりに失敗しているように見えて仕方ない……。ツアーは茶髪で臨んでくれますように。
 
 
 
 
 
そんなこんなで最近は、本当に好きなのかわからなくなるぐらいには薮さんやじゃんぷに関して文句を言ってばかりです。我ながら悲しい。
 
なのでひとまず、気持ちの整理も兼ねてジャニヲタとしての私の現在に至るまでをなんとなく書き連ねてみようと思います。(前置きが長い)
ちなみにここからは更に長いし誰も得をしない内容となっております。
 
 
 
 
 



 
 
 
まず、私が通っていたクソ田舎の小さな小学校にジャニーズを流行らせたのはデビュー前のKAT-TUNだったかと思います。当時の私はさほど芸能人に興味がありませんでしたが、クラスの女子が亀だ仁だと騒いでいた記憶があります。
 
毎日名前を聞くもんだからさすがに気になって、通っていたピアノ教室の近くの書店で初めてドル誌というものを買ってもらいました。
一通り読んで、KAT-TUNの部分はクラスの女子にあげ、残ったところをまた読むうちに覚えたのが4人のYa-Ya-yahでした。今思えば本当に偶然。そして漠然と好きだなあと思ったのは山下翔央くんでした。もちろん担当なんていう言葉は知りません。
 
 
しかし後の2005年、とうとう私自身がジャニーズの世界へ足を踏み入れるきっかけが訪れます。
 
 
 
1リットルの涙
 
祖母が持っていた原作を借りて読んでいました。泣くとわかっていて何度も読み返す、お気に入りの一冊でした。そんな大好きな1リットルの涙がテレビでみれる!と純粋な気持ちで視聴したところ、落ちました。
 
「麻生くんが好きすぎる……」
 
もちろんドラマ自体も好きだったし毎回泣いていましたが、とにかく麻生遥斗を好きになりました。
そして調べます。関ジャニ∞やNEWSの知識は皆無だったので、ここでやっとジャニーズ事務所錦戸亮という人を認識します。ドラマが終わった後は錦戸さんを見て楽しんでいました。10年以上が経ち、錦戸さんもたくさん演技のお仕事をされていますが、私の中では後にも先にも麻生くんがいちばんです。
 
 
話が逸れましたが、事の発端はここだと思っています。それから、ジャニーズってなんだ?どんな人がいるの?学校へ行こう!とか伊東家の食卓の人もジャニーズだったの?
……麻生遥斗にまんまと入り口を開けられました。
 
 
 


 
 
そうこうしているうちに時は過ぎ、またお気に入りのドラマができました。
 
 
 
山田くん可愛すぎない???御村くん素敵すぎない???と櫻井くんが好きだった友人と毎日のように話しておりました。(挙げ句にロスもいいところで、中学の卒業アルバムのクラスのページ、プロポーズで言われたい言葉は?というコーナーに書かれた私の回答は、『君なしでは生きていけない!!』でした。)
 
このあたりから嵐ブームがきます。Timeなんてもう大好きでした。櫻井担の友人の家に泊まり、二人して必死で睡魔と闘って24時間テレビも見ました。(じゃんぷのデビューは素直には受け入れられない側の人間だったので、彼らがデビューしてからもしばらく嵐ブームは去りませんでした。Step and GoとかBeautiful daysとかめちゃくちゃ好きだった。)
 
 
 
 
 
Ya-Ya-yahのことはずっとうっすら気になっていました。でもデビューはしていないし、少クラはみれないし(当時は存在すらも知らない)、雑誌を眺める程度でした。
そして突然現れたHey!Say!7。正直なところかっこいいと思わなかったし、何よりグループ名と歌が嫌いでした(笑)それにクラスでの評判がすこぶる悪かった(笑)それに乗じて私も貶していました。だってYa-Ya-yahとは無関係だったから。無関係だと思ってたから。
 
 
そしてその日はやってきました。Hey!Say!JUMPのデビュー。
薮くんと光くんがいるなあ……へいせいせぶんとか言ってた5人もいるなあ、あれ、じゃあYa-Ya-yahは??そんな感じでした、たぶん。(JJに関してはほとんど知らなかったです)
 
まあなかなかに複雑な気持ちでした。茶の間とも言えないレベルでしたが好きだと思っていたグループから二人だけが引き抜かれ、よくわからない10人組でデビュー。しかもHey!Say!JUMPって。Hey!Say!って。しかもしかも、担当とは言わないまでも推していた翔央くんはそこにいなかったわけです。
 
 
よくわからないけど、Ya-Ya-yahはもう見れないのかなあと思って、それならデビューする二人を応援したほうがいいのかなあと思って、納得はできなかったけど切り替えたんだと思います。どっちかっていったら薮くんが好きだなあなんて程度の気持ちで応援し始めました。そうしたらいつの間にかクラスに有岡担が誕生していて(今は手越担)、DVDを観たりカラオケに行ったり、薮担として成長していきました。(笑)
 
 
 
 
とはいっても茶の間です。じゃんぷをみて、嵐をみて、嵐はブレイクし出したころに離脱しましたが、5年ほどはテレビと雑誌で生きてきました。
現場デビューは2013年の全国へJUMPツアー。遅いって言わないで。大学で出会った有岡担の友人に連れて行ってもらいました。一応ずっと応援してきた薮さんを初めて生でみたときはさすがに感動。スクランブルなんて好き以外の何でもなかったです。
 
そこからは早かった。友人とともにヲタ垢を作り、友達をつくり、ヲタ会をし、完全にジャニヲタライフを楽しんでいました。大学生ってすごい。薮さんに落ちて薮担になったわけではないけど、このころには完全に薮さんの歌と笑顔が好きだと言える薮担だったと思います。
 
 
Live With Meも楽しかったし、フライデーも経験しました。
 
フライデーの件は普通に引きました(笑)LWMを楽しんだ分、余計に。そんなプライベート垂れ流されてんじゃねーよって。無駄に叩いたり擁護したりする他担にいらついたこともあります。でも別に降りようとは思わなくて、ただ30歳で辞めるなんて本気でほざいてるなら許さんぞと怒ってました。メンバーがいなくなるつらさとかそういうのは、あなたがいちばん知ってるんじゃないのって。
 
でもやっぱり薮担でいることを多少迷ったりもして、これによっては、とちょっとだけ覚悟を決めてsmartツアー初日、大阪城ホールに向かいました。入った席はアリーナでしたが、同じブロックに薮のうちわを持つ人はいなかったんじゃないかと思います。スタンドを眺めても本当にうちわの数が少なかった。
そして、結果から言えば私は薮担にとどまります。週刊誌に撮られてファンが減った直後に始まったツアーの1公演目に入ったおかげか、終演後のレポには「いつもより丁寧に自分のうちわにファンサする薮くん」がたくさんいました。そして私自身も、こんな状態のときでなければまずありえないほどのファンサをして頂いたのです。
…と、若干不純な動機も含まれていますが、めでたく薮担継続です。
 
まあその後もえげつない写真がネットで出回ってプロ意識を疑うこともありましたが、smartで深くお辞儀をしていた薮さんを信じることにしたわけです。
 
 
 
そしてやってきた干され期は、メディアへの露出がないことよりソロパートが激減したことがとにかくしんどかった。新曲を聴くたびにがっかりするのが嫌だった。でも干されてからのほうが、こんなに薮さんのこと好きだったんだなあと思うことができた。
 
 
 
それからはじゃんぷが少しずつ人気になってきて、24時間テレビのパーソナリティにも抜擢されて、JUMPing CARnivalもあって、単独でもカウコンもあって。個人の仕事がないと嘆くことはあっても、ツアーからのカウコンは本当に楽しかったです。UNIONにChikuTakuに、薮担でよかったと思えることもたくさんありました。2016年は、Hey!Say!JUMP最高!薮宏太最高!!といったテンションで始まったわけです。
 
 
 
 
 
 
 
と、ここまで書いて3000字を超えました(笑)読みにくいし何が言いたいのかわからないしめちゃくちゃだけど、こんなに書けるんだと自分でも驚いています。最後の方はだいぶ適当です(笑)
 
 
最高の年明けだったと言いつつ、それから約5か月が経ったいま、この記事を書きながら薮さん以外の人に惹かれている浮気者は私です。そのへんについてもまた時間を見つけて書いてみたいと思います。
 
 
 
以上、私とジャニーズの歩みでした。需要ねーよって怒らないでね。